なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか 講師 一橋大大学院教授 加藤 博 平成17年9月13日 於:如水会館 【無断転記転載を禁ず】 社団法人 如 水 会 責任編集 |
◆内容目次
はじめに
基調講演を始めるにあたって
第1章 イスラムをめぐるイデオロギー事情
(1)21世紀におけるイスラム
イスラム教徒の人口推移
イスラムの世界におけるアジアのウエイト
世界の人口の4分の1がイスラム教徒
キリスト教とイスラムの世界的な対峙
「文明の衝突」
「文明の衝突」への反論
イスラムへの高い評価
(2) イスラムと原理主義
世界新秩序とイスラム
チョムスキーのアメリカ文明批判
ユダヤ教、キリスト教、イスラムと続く一神教
原理主義を理解していない日本人
原理主義が浸透するアメリカとヨーロッパ
原理主義の定義
(3) イスラムと報道
歴史の中のイスラム世界
イスラム王朝が支配するユーラシア大陸
島国でイスラムと離れていた日本
オリエンタリズム
サイードのイスラム報道批判
イラク戦争における報道合戦
日本人独自のイスラム観が必要
(4) なぜイスラムは近代とヨーロッパに反発するのか ― トラウマとしての「近代」
イスラム教徒のトラウマ
第2章 イスラムとグローバリズム
(1) 新しい冷戦の時代?
祭政一致と政教分離
(2) イスラムと近代化
世界政治からみたイスラム世界
80年前のイスラム教徒の屈辱と恥辱
人工国家のイラク
原理主義と近代主義
近代化と西欧化
近代化を拒否する原理主義
(3) イスラムとグローバル化
イスラム主義
フランクフルト学派のイスラム主義解釈
アンチグローバリズム
時代が要請するイスラムの柔軟性
(4) 原風景としての「近代」
質疑応答
講師略歴
はじめに
いまご紹介にあずかりました加藤です。始める前に一言私的なことを申し上げます。私の学生時代のことを思い出すと、一橋大学関係の行事でイスラムを取り上げる機会が作られ、私が基調講演と総括を行うようなことは考えられませんでしたので、非常に感慨深く思っています。私の先生はインド経済史の深沢宏先生でして、先生はこよなくインドを愛され、亡くなられたときにはインドの新聞にも訃報が載るぐらいの先生でした。54歳の若さで亡くなられました。
その深沢先生の先生が村松祐次先生で、これまた学長代行までされた世界的に有名な中国経済の先生でした。このお二人は、今もって我々の世代においても、中国研究やインド研究においてはその名前が必ず出てくる大先生です。しかし、大先生が必ずしも自分の専門分野の弟子を持つことにはならないのが世の常のようで、村松先生のお弟子さんはインド史の深沢宏先生であり、深沢宏先生の弟子が私で、西アジアです。そのように、どんどん専門が西のほうに移っています。地球は丸いので、そのうち東のほうに戻ってくるのではないかと冗談半分に思っています。
私が学部の学生の頃には、一橋大学には立派な経済史・経済事情を専攻する先生が大勢おられましたけれども、中東についての先生はおられませんでした。アラビア語など中東の言語講座は設けられておらず、全部独学でやらなければいけない状態でした。ただ私が一橋大学にいて幸せだなと思ったのは、その当時の村松先生や深沢先生はもちろんですけれども、その他のヨーロッパ史の先生たちもこぞって、「これからは中東、特にイスラムという宗教は決定的に重要な意味を持つようになる」という認識を持っておられたことです。そのため「中東やイスラムを専攻する研究者が一橋の中にいてほしい」と仰っておられました。
私がその期待に応えられているかどうかはともかくとして、一橋大学は非常に世帯の小さな、共同体的な大学です。教員の人数が限られているため、専門分野の異なる多くの教員がいるわけではありません。しかし、それぞれの先生の専攻は中国や、インドや、東南アジアや、ヨーロッパであっても、問題関心を広く持って、自分の専攻する地域や国以外の世界で生じている事件に興味を持っておられました。そのため、当時の一橋大学には、「日本で最も足りない研究領域の一つがイスラム世界研究である」ということをよく理解されていた偉い先生が多くいたのです。このことが、私のような人間が曲がりなりにも、ここまで来られた最大の理由だと思っています。その一橋大学のOB会の如水会が、このようにイスラムを正面か� ��取り上げる講演会を企画してくれたということは、私にとってありがたく、名誉なことだと思っております。
基調講演を始めるにあたって
さて、今日は基調講演ということですが、このフォーラムで講演をなさる先生方は、何を基調にすればいいのかよく分からないほど、専門も問題関心も、分析視角も、多様です。これらの先生方は、アカデミズム、外交、民間の企業と、働く場は違えども、イスラムやイスラム世界について一家言を持っておられます。おそらく、これほど充実したラインナップはそうないのではないかと思われます。
イスラムは時間的にも空間的にも非常に多様に展開しており、同じイスラムといっても地域によって、あるいは領域によって様々な形をとっています。したがって、それぞれ一流の話ではあれ、先生方の講演において、多くの相反する意見に出くわすであろうと想像されます。そこで、この一連の講義が役に立つか否かは、聴き手の皆様がどれだけそうした違った形での発言を吸収し、自分なりにイスラム問題の核心をまとめ上げていけるかという、皆様の理解能力にかかっているのではないかという気がします(笑)。
というわけですから、是非とも勉強をしてください。先生方は様々な地域、領域について、これから講義をなされます。今日、私は、最近イスラムについて私的に考えていることを話させていただくわけですが、少々理屈っぽい話になると思います。学者風の話となって、分かりづらいこともあろうかと思います。この点は、次回以降の先生たち講義で補ったり、敷衍したりしていただきたいと思っています。
以上、長い前置きになりましたけれども、資料に基づいて、私の話を進めたいと思います。今日お配りした資料は、8月24日にエジプトへ調査旅行に発つ直前に、あわてふためいて事務のほうにメールで送ったものです。帰国したのが一昨日、9月11日でして、もう少し整理した形でお話ができるかと思っていたのですが、結局はあまり整理できないまま、先に旅立つ前に準備した資料に基づいて話を進めていくことにします。
第1章 イスラムをめぐるイデオロギー事情
(1) 21世紀におけるイスラム
イスラム教徒の人口推移
お配りした資料(スライド)は少し見づらいかもしれませんが、この2つの統計資料から、私の話を始めようと思います。これは21世紀の人口動態に関して、世界の現実の一端を示す統計です。左側の表は、2000年現在と20年後の2025年における世界人口に占めるイスラム教徒の数を示しています。2000年時点で、世界のイスラム教徒数は約13億で、世界の総人口の約21%と推計されています。しかし、それから25年後、21世紀も四半世紀を過ぎた2025年には、イスラム教徒数は約20億で、世界の総人口の約25%になると予想されています。つまり世界の人口の4人に1人がイスラム教徒になるという勘定になります。これは私の友人の人口統計学者が推計したもので、現在の� ��口増加率を基準にしてシミュレートした数値です。
イスラムの世界におけるアジアのウエイト
この統計資料からだけでも、いろいろなことが分かります。その1つが、世界におけるイスラム教徒の分布です。この表にある、南部中央アジアという言い方は非常に曖昧で、インド世界の南部アジアと中央アジア世界とはハッキリ分けて人口統計をとったほうがいいと思いますが、ともかく、この南部中央アジアに、イスラム教徒人口の40.2%が住んでいる。ついで、イスラム教徒人口の16.2%が東南アジアに住んでいます。
このことから分かるように、イスラムの世界の人口分布に関して留意すべきことは、イスラムというとすぐに中東やアラブと考えられますが、多くのイスラム教徒が住んでいるのは、既に現在においても、南アジアや東南アジアだということです。したがって、現在まではイスラム研究というとアラブ研究が主流でしたが、恐らく21世紀のイスラム研究の中心はどんどん東に移っていき、インドや東南アジアのイスラムやイスラム教徒に関する研究が大きな意味を占めてくるであろうと思います。
このアジアへのシフトは、世界政治経済の領域においても同じです。とりわけ、このことは、日本にとって重要な意味を持ちます。労働力の輸入を中心に、日本の社会において、南アジア、東南アジアとの付き合いは今後ますます緊密になっていくからです。その結果、イスラム問題が国内問題としても重要になってくるであろうと、容易に予想されます。
世界の人口の4分の1がイスラム教徒
もう1つ、この統計資料から読み取れる重要なことは、2025年には世界人口の4分の1がイスラム教徒になるという事実です。そして残りの4人に1人が中国人、インド人ということになります。麻雀のプレーヤーにたとえると、ジャン卓の4つの椅子の3つに座るのは、中国人、インド人、イスラム教徒となります。そして残りの1つの椅子に、日本を含めたその他の人々が座るということになります。これは人口動態から見た21世紀の世界の現実であり、21世紀の世界を考えるとき、まず念頭に置かねばならない事実です。
次に右側の統計数値ですが、これはキリスト教徒との比較におけるイスラム教徒の数です。2000年現在、キリスト教徒とイスラム教徒が世界の総人口に占める割合は、それぞれ約30%、約19%と推定されています。これに対して、今から20年後の2025年には、キリスト教徒が約25%、イスラム教徒が約30%になると予想されているのです。つまり、キリスト教徒のイスラム教徒に対する数的な優位は、20年後には逆転すると考えられているわけです。
キリスト教とイスラムの世界的な対峙
この数的な優位の逆転は、日本人にとってはさしたる意味を持ちません。キリスト教が多いとか、イスラム教徒が多いとかいうことは、日本とは直接関係ない対岸の火事のように思えるからです。しかし、欧米の人々にとっては、決してそうではありません。19世紀の近代から今日まで世界をリードしてきたのは、疑いもなく欧米でした。その背景には、彼らの圧倒的な力の優位がありました。それは政治、軍事、経済、文化のすべての領域に及んでいましたが、彼らの自信の源には、自分たちの宗教であるキリスト教が普遍性を持っているという確信と、キリスト教の現実における世界規模での普及があったのです。それがいまやイスラムの拡張の前に脅かされようとしているわけです。
資料の「文章1」を見てください。
「21世紀は、ふたつの主要なかつ急激に増大しつつある世界宗教、キリスト教とイスラームの世界的な対峙と、西洋とそれ以外の地域との間の関係を緊張させるグローバリゼーションの威圧によって支配されるであろう」
これはアメリカのジョージタウン大学教授で、「ムスリム・クリスチャン相互理解センター」の設立委員長ジョン・エスポイズィートの言葉です。このセンターは、イスラム教徒とキリスト教徒との間の相互理解を図ろうという目的で設立されました。彼は現在イスラム問題において最も影響力のある学者の一人です。
その彼が、21世紀はキリスト教とイスラムの対峙の時代となるだろうと言っているわけです。ここでのキリスト教は、欧米とほとんど同義と考えられます。それゆえに、彼は、「21世紀は西洋とそれ以外の地域との間の緊張関係に支配される時代でもある」と述べています。彼は「ムスリム・クリスチャン相互理解センター」の設立委員長であったことが示すように、西洋とイスラムとの対立を強調するような「文明の衝突」論者ではありません。
「文明の衝突」
この「文明の衝突」という議論は、ここにおられる方はほとんどご存じだと思いますので説明する必要もないでしょうが、アメリカのハーバード大学の政治学教授サミエル・ハンティントンが提起した議論で、その骨子は次のようなものでした。
冷戦後の世界では、自由主義とか社会主義とかのイデオロギーではなく、宗教を核とした文明の帰属意識、難しい言葉で言えばアイデンティティによって統合や分裂のパターンがつくられつつある。世界に普遍的な文明が生まれるというのは楽天的な幻想であり、西洋のリベラルな民主主義を普遍的なものと思うのは西洋の考え方にしか過ぎない。他の文明圏から見れば、それは文化帝国主義、つまり西洋の考えの押しつけと見られる。とりわけ東アジアの経済成長とイスラム世界の人口急増によって、中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、儒教・イスラムコネクションも予想される。