葬儀土葬は何ですか?
葬送の歴史【土葬】風葬】火葬】鳥葬】
- 1 :世界@名無史さん:2011/09/05(月) 22:51:44.01 0
- 最近親族に葬式がありました。火葬を行ったのですが、元々はウチの地区は昭和のはじめ
頃でも土葬だったそうです。というわけで、世界の歴史における葬送を語ろう!
- 2 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 20:19:35.02 0
- 2げっと
- 3 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 20:28:24.84 0
- 珍しい葬送といえば…
縄文時代の日本で、一度土葬して、肉が腐ってから改めて骨を改葬したトコあるんだよな。
これもまた凄い。 - 4 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 20:38:25.64 0
- 「洗骨」の風習ならば、近年まで南西諸島にあったじゃないか。
- 5 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 21:14:44.22 0
- そうなの…と思って検索したら、今でも与論島とかであるみたいだね。
- 6 :世界@名無史さん:2011/09/06(火) 21:15:47.76 0
- レーニン、毛沢東、ホーチミン、金日成
「わしら冷凍葬も忘れないでくれ〜」
後に続く元首はもう現れないのだろうか。
インドには亡命子孫パールシーがムンバイ近辺に6万人ほど暮らしており、鳥葬も継続されている。
QUEENメンバーのフレディ・マーキュリーはパールシーであり、エイズで病死後やはり鳥葬された。
去年九州地区でテレビ放送あった。ドキュ形式で。
一応、イランの第二国教。
>元々はウチの地区は昭和のはじめ頃でも土葬だったそうです。
私の親類のところ(鳥取)では、昭和の末まではまだやっておりましたね。
棺おけは元々長方形の寝棺であったのが、室町時代に丸い桶型が出て来る様
ですが(座葬自体はもう少し古いし、桶状のものに入れた例も一応ある)、
あれに入れるのに、死後硬直した遺体を無理矢理曲げていれるので、入れる
方も入れられる方も骨が折れる作業が必要でした。
文字通り、骨が折れる様な音がしたので。
宗旨にもよりますが、昭和30年代までは珍しくなかったかと。
以前、改葬したら江戸時代の髷を結った先祖のミイラ化した遺骸が出て来た
ので、警察に連絡してから火葬したという書き込みがありました。
>>4
近代に禁止されて、やり方を改めていましたね。広義の洗骨は続ける形で。
有名なのは、スレタイトル以外では水葬ですが、珍しいのは樹上葬。
日本では仏典経由でインドにあることが早くから知られていましたが、平安時代
にも少数ながら行われた例があります。
仏典の影響を受けたものか否かは不明。どうも異常死に対して行われたらしい。
で、検索したら、中国では散骨が当たり前みたいだね。なにやら、昔の政敵の墓を暴いて死体を打つなんてことやる民族
だからかな?
その頃から赤土を撒く(赤色を塗る)ことを行っているな
遺骨の上から大量の花粉が検出された遺跡。
故人に花を供えるのはネアンデル君もやってたんだろうか。
だから通夜という習慣が出来た、と何かで聞いたよ。
生き返るかもしれない、でも独りで見てるのは怖い、だから大勢で…と。
それとも伝統的に火葬をする文化では遺族が焼けた後の骨を拾うというのも火葬とセットになってるのかな
あれは土葬の名残では。
加地伸行氏は「日本の火葬は、実は土葬」と似たような説を唱えている。
でも日本の土葬ってそんな改葬ってやってたっけ
一度土葬した後の骨を改葬していたらしい。
沖縄のは土葬は一度もなく再風葬ね
王家を例にとれば室内に広い空間がありぽつんと石棺がおかれ
日本で例をあげれば古墳時代の大型古墳ね
時代が下るぶん沖縄のほうがより大陸的ではあるが
あと東北地方を例にあげると沖縄と共通の縄文時代期の箱式石棺墓ね、
大陸系の北方民族が東へ南へと弥生、古墳時代期には西日本へとね
出雲では樹木葬だったようだけど…インド起源なのか。
インドって言ったら、水葬だな。
豪雪地帯で冬の最中に死者が出た場合、遺体はどう処理するのですか?
雪の上で大きな火は焚けないから火葬にできないし、
土葬にしても雪を掻き分けて地面を出し、墓穴を掘るのが一苦労…
日本だと出羽の即身仏が有名だけど、その他にも奥州藤原三代や藤原鎌足とかも有名だね。
鎌足は昭和初期に気象アンテナの建設工事中に発見され、漆喰の密閉スペースで1300年以上もかけて
ミイラ化し、当時の鮮やかな衣装もそのままだったという。
だが貴人の墓ということで特高あたりが動きだして、結局埋め戻してしまった。
あるいは足利氏あたりとか
腐りやすい内蔵を除くとさらに良い。
それを、死語の世界と関連づけてミイラ作りが盛んになるのだろう。
一部で火葬が仏教とともに広まった
洗骨は客家人が先祖の骨と共に移住していくときにできた習慣だとか
琉球に伝わったのもその系統の洗骨ではないかな
蔡文高「洗骨改葬の比較民俗学的研究」岩田書院
これを読めば、答えが分かるかもしれないが、図書館にない。
高すぎ!
日本の有名人では小野小町が野晒し葬だったと思う。
インドネシアやフィリピンやオセアニアには改葬の風習はあるのかな
室町期には地域の共同体が葬送を行うようになっていましたが、それまでは
死穢を忌んで家族以外は葬送に関与しなかったため、ほとんどが風葬でした。
背負って河原や野原に運んでいくというのが多い。
流石に戦国〜江戸初期になると余程の貧乏人や身寄りの無い遊女でもない限
りは普通に埋葬・火葬されていますが、土佐などでは明治まで続いた模様。
ただ、単に野ざらしにするのではなく、場所を限る(決まった大石の上など)
という変化は見えていますが。
「髑髏小町」は、葬送というか、行き倒れた結果ですね。
中国から伝来した、髑髏報恩譚の変形です。
『太平広記』から笑い話まで、山ほど見えている。
成人した貴人で風葬というのはあまり見えませんが(高僧の遺言ならある)、
皇族でも中世まで七歳未満の死者は袋に入れただけで遺棄されました。
七歳以前は「あちら側」に属するため、葬儀不要と判断されたらしい。
『倶舎論』に死後人は五、六歳の姿をとるという説があり、これが広まって
いたせいであろうと思います。
七歳より上になって、初めて生前・死後の世界と別の存在になれる。
江戸時代の菅江真澄が現在の大館市の真ん中にぽつんとあるたんこぶ山の達子森で風葬の風習が今でもあると
報告しているのだが、なるほど昔はほとんどが風葬だったんだね。
一般的には火葬だったが、所謂「トラロックの祟り」で死んだ人は
土葬にした。
妊婦もしくは出産の際の死や溺死なんかだな。
達子森の地名語源は、アイヌ語のタプコプ(たんこぶ山)。
しかし東北地方の郷土史家には、アイヌ語起源説を猛烈に嫌がる人間もいるんだ。
を批判したのは有名ですが、土葬以外の葬法(火葬・水葬・林葬=風葬)も同
様に身体を損壊して「不孝」であるとしておおいに批判しています。
持統天皇以来の天皇の火葬にも異議が唱えられ、近世に土葬も行われるように
なり、近代以降は言うまでもなく土葬ばかりですね。
我が国でも、近世になって改めて土葬にしたりもしているので、近代の火葬・
土葬の分布が、何時の時代まで遡って適用されるかは、難しいところです。
異常死した人への対応は各国さまざま。
近世の我が国で足の裏に交叉する切り込みを入れたのは、歩行防止目的か。
足のない幽霊の絵は(応挙とする俗説がありますが)享保頃だそうですし。
猫がまたぐと死体が起き上がるという話がありますが、東欧では猫がまたぐ
と死体が吸血鬼になると言ったそうです。
南方熊楠は宣教師による伝播を想定していましたが、果たして東欧の伝承が
スペインやポルトガル、イタリアの宣教師らに知られていたかどうか。
ああ、それと子供の死体が遺棄されるという習慣は、少なくとも清代の中国
にはあったようです。
医師がそれを拾ってきて、解剖の材料にしている。
南朝の宋では、男が病死した後に妻子が遺言どおり腹を割いて病理を明らか
にしたところ、「不孝」ほかの罪で処刑された事件があり、この後は親・夫
は勿論のこと、赤の他人の死体でも解剖したという話は少なくなったとか。
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